
『地獄に堕ちないための言葉』
81 最大級の悪人は、閻魔(えんま)の法廷で裁かれるまでもなく、まっさかさまに無間地獄(むけんじごく)に堕ちる。
82 無間地獄では、他の人の姿も見えず、声も聞けない。 いわゆる「危険犯」として井戸の底に隔離されるのだ。残虐(ざんぎゃく)な政治家、間違った思想を流布(るふ)した者、生前、悪魔信仰の指導者をしていた者たちである。
83 しかし、何千年、何万年と地獄の最深部で反省もしなかった者は悪魔となって、神仏への反逆を試み、魔王たちを部下に集めている者もいる。
84 悪魔や魔王は、地上で大きな力や影響力を持った者が、波長同通(はちょうどうつう)する時、その者の心を乗っ取り、この世の地獄を増大させる。
85 悪魔に、その心と肉体を乗っ取られないためには、日々に反省と感謝を重ねながら、神仏に祈りつつ生きることである。
86 悪魔の攻め道具は、貪欲であり、怒りであり、愚かさであり、自慢の心であり、疑いであり、間違った見解である。
いわゆる、貪瞋癡(とんじんち)の心の三毒、および、慢疑悪見(まんぎあくけん)の六大煩悩です。
『太陽の法』p120
(注3)心の三毒(さんどく)と六大煩悩(ろくだいぼんのう)……仏性(ぶっしょう)をけがす三つの悪しき精神作用(煩悩 ぼんのう)を心の三毒といい、むさぼりの心(貪 とん)、怒りの心(瞋 じん)、愚かさ(癡 ち)を代表とする。これにうぬぼれの心(慢 まん)、疑いの心(疑 ぎ)、種々の間違った見解(悪見 あくけん)の三つを加えて、六大煩悩とし、人間の正しき思いを迷わせ、地獄へ墜(お)とす重大原因と考えるのが、仏教的正思の基準である。ただし、百八煩悩(ひゃくはちぼんのう)といわれるほどに、悪(あ)しき精神作用は多く、正思(しょうし)には無限の深まりがある。
87 だから、少欲知足(しょうよくちそく)が重要である。平静心(へいせいしん)が必要である。いつも、守護・指導霊が、天上界から地上の自分を見守っていることを信じることが大切だ。
少欲知足(しょうよくちそく)
「少欲」とはいまだ得られていないものを欲しないことであり、「知足(足るを知る)」とはすでに得られたものに満足し心が穏やかであることである。 唐の時代の代表的な仏教僧である玄奘(げんじょう)は「知足」をさらに踏み込んで「喜足(足るを喜ぶ)」と訳し、「少欲・喜足」とする。
88 うぬぼれは天狗(てんぐ)の心であり、修行者としては転落への道である。知識や情報は、悟りとは違う。だから、「疑い」のジャーナリズムが「仏国土(ぶっこくど)ユートピア」をつくることはない。
89 高学歴、高収入、うらやましい容貌(ようぼう)が、神の証明ではない。むしろ謙虚(けんきょ)さや、絶(た)えざる精進(しょうじん)、他の人々への優しさ、真なる愛こそ、神近き者の証明であり、仏の弟子の証明である。
90 正しい言葉を使い、正しい行為をなし、正しい生活をし、正しい仕事をし、日々、世を照らすことを考えよ。