
『地獄に堕ちないための言葉』
⑪男女の愛も、仏法真理から見ると、「与えた」か、「奪った」かで、天国地獄が分かれる。
恋愛に限らず、「与える愛」に生きる者は天国に行き、「奪う愛」に生きる者は地獄に堕ちます。
⑫血の池地獄は今も存在する。動物的本能が勝って、自制心や、本物の愛が敗(やぶ)れた場合に往(ゆ)くのだ。
血の池地獄は本当に存在します。そこは醜い化け物みたいな存在が、血の池の中で、浮きつ沈みつ、お互いからみあっているというおぞましい世界です。今、血の池地獄に堕ちる人が増えているといわれています。異性への際限のない性的欲望にはブレーキをかけ、まじめに勉強や仕事をする勤勉で建設的な生き方をすることが大切です。
⑬血の池地獄に往(ゆ)かぬためには、『白骨観(はっこつかん)』をするとよい。相手が白骨となっても、あなたはその魂を愛せるか。
白骨観とは、人体の内部にある人体を構成している白骨を想像することです。人間の身体の内部は、この白骨でできていると思うと煩悩がすーっと引いていきます。さらに、強烈なのが不浄観(ふじょうかん)です。これは人体の内部の内蔵を想像するものです。醜い内蔵を想像し、さらに、大腸に満ちている大便を想像します。この不浄観をすると性欲がすーっと引いていきます。
⑭血の池地獄は、初級者の地獄である。ここから出られない人は、性犯罪者として悪質な者である。
血の池地獄に堕ちる人は性欲において病気です。セックスが人生最高のものだと思っています。人生、そして人間にはセックス以上にすばらしいもの、価値あるものがあると悟らないと、血の池地獄から出てこられないかもしれません。
⑮血の池地獄で試されているのは、「お前の本質は、人間か、それとも動物か。」ということである。
血の池地獄の隣には、動物の世界である畜生道(ちくしょうどう)があります。本来、人間は偉大なる神仏の子であり、人間の本質は肉体ではなく、魂であり、高貴な精神である、ということを知らなければなりません。
⑯「動物性が極めて強い」と判定されると、次は、「畜生道(ちくしょうどう)」・「動物界」という地獄へ送られる。
「畜生道」・「動物界」という地獄へ堕ちないためには、この地上において、欲望と感情のままに生きる動物的な生活ではなく、主エル・カンターレを信じる信仰生活、大川隆法総裁の書籍を読む知的生活といった精神的な生活を送ることが大切です。
⑰「畜生道」では、体は動物と同じとなるが、時々、顔は、人間時代の顔にブレて見える。
哀れなことです。畜生道に堕ちないように精神的に生きましょう。
⑱怠(なま)け者は、重い荷を背負いて、延々と迷路のような山道を歩き続けるやせ馬となる。
こうならないように、仕事に勉強に勤勉に生きましょう。
⑲攻撃性の強かった者は、猛獣の姿となるが、殺生(せっしょう)の空(むな)しさを悟るまで、他の動物を襲い続ける。
他者を攻撃する人間の本質とは猛獣であり、彼らの心は弱肉強食の猛獣の心です。他者を攻撃するのではなく、他者をいつくしみ、優しくすることが大切です。人だけでなく、動物も植物もすべての生命を神仏の現れとして、愛し、いつくしむことが望ましいといえるでしょう。
⑳食べられる側の草食獣や、小動物は、恐怖を味わい続ける。時々、「憲法九条」と刻印されたシマウマまで目撃される。(迷彩柄で身を護ろうとしているのだ。)
憲法九条が自分を守ってくれるとでもいうのだろうか。戦後、日本が他国から一度も攻撃されなかったのは、世界最強のアメリカ軍が日本を守っていたからで、決して、憲法九条が日本を守っていたわけではない。もし、アメリカが日本を守っていなければ、憲法九条があっても、とっくの昔に日本は他国に侵略され、どこかの国の植民地になっていたかもしれない。