
富も貧乏も人間の心を縛るという点で、よく似ている。
金持ちは、お金を少しでも増やしたい、ほんの少しでも損したくないと、必死である。
貧乏人は、毎日生きるのに精一杯で、1円でも多く、お金を稼ぐのに必死である。
考え方は違うが、どちらもお金という物質について、心労するのだから、似たようなものである。
神からの富の供給というものを物質的基準だけに自己限定し、物質の増減によって富の大小をはかろうとするから、そんなことになるのである。
本当に神の無限供給によって豊かなものは、ただ、人類のために与えるだけ、尽くすだけであり、そのように常に人類に奉仕していれば、自然に生活に必要なものは与えられて、何ら心配する必要がないのである。