
人間の運命は自分がまいた想念の結果であり、意識するしないに関わらず、自分自身が想念したことが結果として、自分自身に現れることになるのです。
イエス・キリストは山上の垂訓の中で、
「人をさばくことなかれ、汝(なんじ)らもさばきたる自己の尺度もてさばかれん」
とおっしゃいました。
これが、キュウリの種をまけばキュウリを収穫し、スイカの種をまけばスイカを収穫する心の法則なのです。
寛大な心をもてば、他人から寛大に扱われ、他人の過ちを決して許さないというような不寛容な厳しい心をもてば、他者からも自分の過ちを決して許されず、厳しく扱われることになるのです。
他人の悪口を言えば、また、自分も他人から悪口を言われます。
与えれば与えられ、奪えば奪われます。
「与えよ、さらば与えられん。人は量(はかり)をよくし、押し入れ、揺り入れ、溢(あふ)るるばかりに与えられん」
と新約聖書のルカ伝には書いています。
善にしろ、悪にしろ、自分自身が選んだ想念が、自分自身の運命として、自分に降りかかってくることになるのです。