少数派って悪いこと?
人間は一般的に少数派になることを恐れているようです。
なぜかというと、自分はまともな人間だという安心感を
得たいと常に心の奥底で欲しているからです。
たくさんの人間が悪いことをしていても、
他人もみんなそういう悪いことをしているのだから、
と自分自身を納得させ、その悪いことをなんら
悪いことをしているという自覚がないのです。
しかし、悪は悪であり、善は善です。
人がどう理屈づけようとも、はっきりと
善と悪は存在しています。
では、善とは何でしょうか。
悪とは何でしょう。
深い定義とか、いろいろな議論はできるとは思いますが、
簡単に言うと、
善とは、人に喜びを与えること、
悪とは、人に苦しみを与えること、です。
人間は、一般的に、少数派、異常者であると周囲に思われると
生きていけない、のではないかと潜在意識下で
恐れているのだといえるでしょう。
だから、人間は多数派になりたがります。
人と一緒の行動をとりたがります。
人と同じ行動をしていれば、少数派になることはない、
異常者になることはない、とはっきりとは
意識していないかもしれませんが、
心の奥底で思っているからです。
少数派、異常者を迫害し、攻撃するというのは、
そういう少数派、異常者を迫害することで、
自分は正しい、まともである、と自分自身を
肯定したいのだからだと思います。
自分を肯定するのはよい、
だからといって、少数派、異常者を迫害し、
攻撃するという行為は決して許されるものではない。
しかし、そういう多数派になりたがる者たちは、えてして、
少数派、異常者を迫害し、攻撃し、侮蔑し、差別し、
いじめたがるのです。
実に卑劣だといわざるをえません。
なぜか。
それは彼らが潜在意識下で自分がおかしいのではないか、
劣等なのではないか、ということを心の中で恐れているからです。
だから、自分たちが少数派、異常者と認識するものをつくり出し、
そして、彼ら、少数派、異常者を大勢で迫害し、攻撃し、
いじめ、差別することで、自分たちは多数派であり、
まともであり、高等であると信じたいのです。
実にあわれな心境である、といえるでしょう。
もちろん、自分が多数派であり、まともであり、
高等であると信じるのは自由である。
だからといって、少数派、異常者を迫害し、
攻撃し、いじめ、差別する、といった行為は決して
許容されるものではない、のである。
むしろ、彼ら、少数派、異常者、差別されし者たちを
守り、育(はぐく)み、いたわり、彼らが安全に安心して
生きていけるように心を尽くすことこそが、
高貴な人間、心ある人間、自分が良心的であると
思っている人間のあるべき姿であろう。
しかし、そういう勇気ある心ある人間は、
それこそ、少数派である。
しかし、私たちは勇気ある少数派になって、
少数派、異常者、差別されし者たちを
守り、育み、いたわり、彼らが安全に安心して
生きていけるように心を尽くしていこうではありませんか。