この世は善と悪を学ぶ学校である。
人間は永遠の生命を生き、その生命はこの世とあの世を永遠に行き来するという生まれ変わり、すなわち、輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返しています。
人間はなんのために地上に生まれ変わってくるのでしょうか。
もし、あの世というものがあり、天国というものがあるなら、その天国にずっといたほうがいいのではないでしょうか。
ところが、人間は何百年かたつと、地上に生まれてきます。
つまり、地上は義務教育の場として設定されており、あの世にずっといると、魂の進化が止まってしまうので、地上に生まれてくるのだと言われています。
あの世、天国というのは、この世とは正反対で、完全に自由であり、なんの苦しみもない世界であり、思ったことはすぐ実現するという、なんの努力もいらない世界です。
ただ、あの世はあまりにも楽すぎるので、そういう世界に長年いると魂の成長が止まってしまうので、地上に生まれてくるのだと言われています。
しかし、ここで、問題になるのは、悪の存在、悪人の存在です。
もちろん、天国には、悪はなく、悪人も存在しませんが、この世には明らかに、悪、悪人というものが存在します。
神仏は悪人をつくってはいません。すなわち、根っからの悪人というものは存在しません。
すべての人間は天国から生まれてきます。天国から生まれてきたということは、みんな善人だったはずです。しかし、この世には明らかに、悪、悪人が存在します。
なぜでしょうか。
それは、つまり、人間には選択の自由、すなわち、自由意思が許されていて、善でも悪でも選べるようになっているということです。
なぜ、そういうふうになっているかというと、この世は善悪を学ぶ学校であり、修行場であるからです。
つまり、この世というものは、学校であり、善とは何か、悪とは何か、美とは何か、醜とは何か、などなど、あらゆることを学び、実地体験するために存在しているのだと言えます。
人間に自由意思が与えられているのは、決して悪をしていいというわけではなく、その自由意思を用いて、善をなすことができるかどうかを試されているのだと思われます。
地上という善でも悪でもできる環境下において、善をなした人は、
死後、天国に帰り、悪をした人は地獄におちるわけですが、長い目で見れば、人間はこの世という学校で、何が善であり、何が悪であるのかを学び、自己の魂の成長を目指しているのだと言えるでしょう。