あなたが死後、地獄におちなくてすむ方法

あなたが死後、地獄におちなくてすむ方法

人間はいつ死ぬかわかりません。
しかし、唯物論者(ゆいぶつろんしゃ)が考えるように、死んでそれでおしまい、というわけではありません。

あの世がない、という唯物論者に決してだまされてはなりません。

彼らは何も知らないのです。

私たちの本質である魂、霊は決して死ぬことはありません。
そして、その私たちの本質である魂、霊は死後、肉体を抜け出してあの世に行きます。
そこで、それぞれの魂、霊の行き先は天国地獄へと分かれるというわけです。

世の中を見回してみると、もし、本当に死後の天国地獄があるとすると(実際あるのですが)、「この人は地獄におちるだろうな」と思うような人がいっぱいいるのではありませんか?

そして、地獄行き確実な人であればあるほど、あの世の存在を必死になって否定するわけです。
「あの世なんかあるわけない」と。

それはそうでしょう、もし死後の地獄があれば、悪いことばかり思い、悪いことばかり語り、悪いことばかり行ってきて、多くの人を害し傷つけてきて、てんとして恥じない地獄落ち確実の自分であるわけですから、あの世なんてあってほしくないわけです。

このように、地獄におちる典型的な人は、人を害したり、傷つけたり、いじめたりして人を苦しめて生きてきた人ですね。

いつも人の悪口を言う、とか、人をねたんだりするとかですね。
一言でいうと、人に危害を加えた人です。
心が醜(みにく)い、きたない、けがれている、そういう人は地獄におちると思います。

また、神仏を信じず、神仏の悪口を言う人です。

そういう人は死ぬと同時にまっさかさまに地獄におちていくのだと思います。

とくに、仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぽう)を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)するものは阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく)におちるといわれています。

ようは、心が真っ暗な人ですね。
あの世は心だけの世界であり、心が真っ暗で、闇に閉ざされていると、真っ暗闇の地獄に落ちるわけです。

よく思うのですが、あの世の地獄というのは3Kです。


ここでいう3Kとは、

「暗(くら)い、臭(くさ)い、きたない」(^_^;)

の3Kということです。
つまり、地獄というのは、暗くて、臭くて、きたないわけです。

糞尿(ふんにょう)地獄なんて典型的ですね。

文字通り、糞尿だらけ、大便と小便の中につかって、こぶし大のたくさんのウジ虫に体中をかじられながら、何年も何十年も何百年もその糞尿の中につかって、決して逃げることができません。

糞尿(ふんにょう)地獄というのは、人を徹底的にいじめた人間がおちるらしいです。

人を糞尿扱いして、虫けら以下に扱うから、自分もそういう目にあうわけです。

まさに、因果応報、自業自得というわけです。


対照的に、天国というのは、明るくて、楽しくて、美しくて、かぐわしい香りがする、という素晴らしい世界です。

別名、「楽が極まった世界=極楽」と呼ばれるのもうなずけます。


その天国、極楽というのは、地上とは正反対で、いやなこと、苦しいこと、つらいこと、悪いこと、きたないこと、不自由なこと、など不快なこと、いやなことなど苦しいことが一切ない至福の世界です。

心が美しい人間は死ぬと上に上がっていきます。
心が美しければ美しいほど上に上がっていって、この世とは比較にならない、限りなく美しい天国で至福の生活が送れる、というわけです。

周囲の人間も全員心が美しい人間ばかりなので、そこに暮らす人間はみんなとても幸福です。

人に危害を加える人間や自分さえよければいいという利己主義者は全員地獄におちており、そういう悪党、利己主義者は、そういう高い天国、極楽には一人もいないので、天国、極楽に住む住人は心から安心して平和に暮らせます。

それどころか、周りの人間は心からあなたの幸せを願っているような心の清らかで美しい人間ばかりです。


ですから、仏教の七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)
「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教
(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)」

(法句経) 
「もろもろの悪をしてはいけません。あらゆるよいことをしましょう。
自分の心を日々清めましょう。これが諸仏の教えである」
という教えは、この教えを守り、生涯行えば死後、地獄におちず、天国に行ける、というわけですね。

人をいじめたり、人に危害を加える姿、というのはまさに鬼そのものです。
あの世は心そのままの姿になりますので、心が鬼であれば、鬼の姿になってしまうわけです。

ちなみに、しつこくしつこく人をねたんだり、嫉妬(しっと)したりするような人間は、あの世でヘビの姿になってしまうそうです。


つまり、しつこくしつこく人をねたむような心というのは、人間の心ではなく、ヘビの心だということです。

嫉妬心とはボトム、すなわち、人間の持つ心の中でも最低である、と言われています。

「愛の反対は憎しみではなく、嫉妬である」といわれるぐらい、嫉妬心とは人間の持つ心の中でも最低の心なのです。

ですから、人をねたむ心を捨てましょう。
人をねたむ心ではなく、人を祝福する心、人を愛し、人の幸せを願う心を持つように努力しましょう。


また、人の不幸を喜ぶ心、このような心は悪魔、悪霊の心なので、
このような心は捨てるようにするべきです。

「人の不幸は蜜(みつ)の味」といういやな言葉がありますが、
まさにこれこそが悪魔、悪霊の心なのです。
悪魔や悪霊たちは人の不幸が面白くて仕方ないのです。

だから、一生懸命、人を不幸にしようと努力(?)しています。
もちろん、悪魔、悪霊たちとは反対に、
天使たちは人々を幸せにしようと
日々努力しています。

それから「しょせん、この世は色と欲」
といういやな言葉もあります。
これもまた、悪魔、悪霊の典型的な考え方だといえるでしょう。
神仏を信じ、人のために生きようとする

高貴かつ高邁(こうまい)な利他的な心を否定し、
単に自分の欲得のみを追い求める卑しい姿。
人間としての最後の姿であるといえるでしょう。

人の不幸を悲しみ、人に危害を加え、人を不幸にする悪を憎み、
人の苦しみは取り除いて軽くし、人に幸せを与えていこうという
仏教の「抜苦与楽(ばっくよらく)」の精神こそ、正しい精神です。
天使たちは、みな、このような心で生きています。

さて、大川隆法総裁先生は、人間は60才を過ぎたら(つまり晩年)、
「和顔愛語(わげんあいご)」、つまり、
「人に対して優しい顔、
優しい言葉につとめてください」
といっています。

「和顔(わげん)」とは、優しい穏やかな微笑みをたたえた顔、
愛語(あいご)とは、人を幸せにするような愛にあふれた言葉、
思いやりある暖かい、人を生かす言葉のことです。

この「和顔愛語(わげんあいご)」というのは60才以上の人間だけではなく、
若くても、子供であっても、どの年齢の人間でも大切だと思います。

一生、この「和顔愛語(わげんあいご)」で生きられたら、
まちがいなく、その人は天国に帰れると思います。
「和顔愛語(わげんあいご)」は天国行きの切符である、というわけです。

「和顔愛語(わげんあいご)」で生きられたら、
死後は天国で幸せに生きられるのだから、
これは「和顔愛語(わげんあいご)」で一生を生きるしかないでしょう。

「和顔愛語(わげんあいご)」とともに、「ありがとう」の
「感謝」の心で生きると、より良いと思います。
何事にも、だれに対しても、たとえいやなことがあっても、
いついかなるときでも、ありがとうの感謝の心に生き、
「ありがとう(ございます)」という言葉を出していくということですね。

一生、優しい心、優しい言葉、よい思い、よい言葉、よい行い、
そして「和顔愛語(わげんあいご)」と「ありがとう」の感謝に
つとめれば、死後は無事に天国に帰れることでしょう。

斎藤一人さんのいう「愛してます」「ついてる」「うれしい」「たのしい」
「感謝してます」「しあわせ」「ありがとう」「許します」などの
「天国言葉」を口癖にするのもいいと思います。

斎藤一人さんは、人はこの「天国言葉」を口にしていると、天国に行き、
逆に、恐れている、ついてない、不平不満、グチ、泣き言、悪口・文句、
心配ごと、許せない、などの「地獄言葉」をいっていると
100%地獄におちると言っています。

皆様が死後、天国に帰れることをお祈りいたします。

目をつぶって、瞑想しながら、
下記の心の指針「不滅への道」の御仏(みほとけ)の言霊(ことだま)に
静かに耳を傾け、自分の過去の人生を振り返ってみて反省してみましょう。
そして、自己の良心に照らして、過ちがあれば心の中で仏に謝罪することです。

この反省と謝罪ができないために、死後、

多くの人間が地獄におちて今も苦しんでいます。

今、地上に生きている多くの人間も地上に生きているうちに
自分の思いと言葉と行いについて、反省しなければ、

死後、地獄におちて苦しむことになるでしょう。

「地獄におちた地獄霊で反省できる人間は一人もいない」
という大川隆法総裁先生の言葉を決して忘れてはなりません。

心の指針「不滅への道」 幸福の科学 大川隆法総裁 御法話抜粋

心の指針「不滅への道」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋
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